持続可能な労働について考えてみる





どうも、隠居芸人です。

表題のとおり、持続可能な労働について考えてみたいと思います。

持続可能な労働について考えるにあたり、まずはFIREしたい理由について考えたいと思います。

●私がFIREしたい理由

・理不尽に耐えられない

・会社員では自由な時間が足りない

・空を眺める心の余裕や時間の余裕がない

・労働つらい

・他にやりたいことがある

ハァ……私、高等遊民にでもなりたいんでしょうかね。

理不尽さ

若いから、会社にまだ慣れていないからなどの理由で入社数年は理不尽な目に遭いました。もちろん自分にも非があったと思いますが……。最近は会社員生活にも慣れ、また加齢に伴い、理不尽な事を言われることも押しつけられることもほとんどなくなってきました。

自由な時間の不足

通勤も含めた拘束時間が長いです。もっと読書やブログに時間を使いたいです。

空を眺める心の余裕や時間の余裕がない

これはこのままです。たまに夕焼けを見るから夕焼けが美しく感じるのでしょうか。だとすると、今のままで良いような気がしないでもないです。

労働がつらい

つらさは達成感・RPG(ロールプレイングゲーム)感とリンクするところが少なからずあります。最近は労働に少し慣れてきました。年功序列のルールに従った振る舞い方を体得できたのは大きいです。これを30年続けるのはつらいですが、加齢とともにどんどん楽になっていくような気もしています。

他にやりたいことがある

「②自由な時間が足りない」とかぶってしまいますが、読書、ブログ、思索に耽っていたいです。それらばかりしていたら飽きるのでしょうか。私はそうは思いません。たとえ拙くとも何かを生み出して、生み出した何かに対する反応(手応え)があれば飽きないような気がします。最近、グーグルアドセンスから入金があったのですが、まさかブログで本当に収入が得られるとは思っておらず、サプライズ的な嬉しさがありました。ブログのPVなども指標になるでしょう。

以上、FIREしたい理由を挙げたものの、問題の大部分が時間の経過にしたがって、解決に向かっているような気がしないでもないです。「時が解決してくれる」という言葉は、ほとんどの物事にあてはまるのかもしれません。

FIREを目指している人間が持続可能な労働について考えるなんてどこか矛盾しているようですが、以上から持続可能な労働像が少し見えてきたような気がします。

労働を持続可能なもの(持続可能な労働)とするにあたって、以下の2点が私にとって特に重要な要素になります。

可処分時間を増やす
→労働のホワイト化(休暇、時短、定時退社)
※ある程度自分でコントロール可

可処分時間を有効に使う
→やりたいことがやれている状況
(読書、ブログ、勉強、副業)
※自分でコントロール可

つまり、時間管理に尽きるっぽいです。
可処分時間を増やせても有効に使えなければ意味がないし、可処分時間を有効に使えていてもその絶対量(人によって異なる)を確保できなければ持続可能とはいえません。

労働の持続可能性を高めるとは、当人にとって少しでも気持ちよくできる労働環境を整備することに他ならないわけですから、(私にとっての)働き方改革とは「可処分時間を増やし、かつ可処分時間を有効に使うこと」となります。

この実現に向けてトライアンドエラー(エラーはないに越したことはない)でやっていきたいと思います。

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